ちょっと気になるブログ

人生は気になったりならなかったりの連続

「みんな我慢してるから」が気になる

 

たとえば無駄に思われる学校の行事ごとに参加するのを渋って、

「みんなも我慢してるからあなたも行きなさい」

と説得されたとき。

 

たとえば部活中の非効率的なトレーニングをしたくないと言って

「みんなしたくないけど頑張ってるねん」

と納得させられた時。

 

 

みんなはなんで我慢してるんやろう

みんなはなんで嫌々ながらも頑張れるんやろう

そう思わずにいられなかった。

 

 

なんでみんなが我慢してるからという理由で俺も一緒に我慢しなければいけないのか理解できなかった。

 

別にそれぞれが違う人間なのだから、他人の行動に自分が縛られる理由はないんちゃうかと。

 

「オレら、ズッ友だかんな!」と言葉を交わすような青臭い中学生の思春期ボーイなら、友達が辛いことに我慢しているなら俺も我慢するゼ。なんてことを考えても不思議じゃない。

なんなら同じように悲しみを共有しない人に対して攻撃的な姿勢を取ることだってあり得る。

 

 

中学生はルフィぐらい友達を大切にする。

中学生にとっての世の中はまさにグランドライン。

船員以外は敵ばかりの大海原。

 

 

俺は確かにまだまだ青臭いし中2マインドを捨てきれていない。

けど俺はいくら友達とはいえ自分とは関係ない何かに我慢できるようなボランティア精神を持ち合わせてはいない。

 

自分は自分で、他人は他人だ。

 

 

そもそも、なぜ「みんな」は特定の状況に対して我慢しているんだろう。

「みんな」が我慢しなければいけないような、だれも得しないような状況なら、それこそ「みんな」で我慢することをやめてしまえばいいと思う。

 

なに?ドM?我慢大会?

変態大運動会ですか?

 

なんで俺が理不尽に不特定多数のSMプレイに巻き込まれないかんのや。

いくらドMとはいえ、自分の思う角度と違う方向からSっ気が来ると引いてしまう。

SMは各人合意の上で、互いのことを考えながらするのがいいのであって、無理やり巻き込まれてしまえばそれはただの暴行じゃないのか。知らんけど。

そんな身勝手なSMはよそでやってくれ。と切に願う。

 

 

もし不特定多数の「みんな」さんが辛い思いをしているのであれば、状況を改善しようとするのが最善策だ。

なんでそろいもそろって我慢してるねんと。

 

 

「みんな」を説得材料に使うやつにロクな奴はいない。

自分の力だけでは説得しきれないことがわかっていて、同調圧力でひとを動かそうとするところが究極にダサい。

人間はひとりになることに対して恐怖を感じるようになっていると思う。その恐怖につけこむのは卑怯だと思う。

 

 

そういう、「みんな」が大好きな人っていうのは一番ひとりになるのを怖がってるのかなとも思う。

ひとりが怖いあまりに、同調圧力で人を縛ろうとして「みんな」を集めようとしてるのかな。と。

 

ロクな奴はいないと書いたけど、憎むべき人間でもないと思う。

 

そもそも、別に大衆を行動を共にしようとすることは悪いことじゃないし。

その方が楽しいならそうすべき。

 

ただ、「みんな」を理由に行動したくないって人がいるのもまた事実なので、みんなの価値観を大切にしながら生きていけたらいいな。

 

 

と、敷かれたレールの上をみんなと走る大学生が考えている。