ブチ上がった承認欲求
始めた理由は、ある程度大学の単位がそろってきて暇な時間が増えたということと自分を何かしらの形で表現したかったからだった。
遺伝子の影響かそれとも環境のせいか、普段から何気ない他人の一言や当たり前とされている慣習に対して疑問を抱くことが多かったから、自分が気になることを取り上げていっちょブログでも書いたりますか!なんて軽いノリで始めたこのブログ。
大学のテスト期間はさすがにちょっと忙しくてオール英語のレポートを半泣きになりながら書いたりしていたので更新できていなったけど(終盤はきつすぎてちょっと笑っていたりしたので、flumpoolのデビュー曲「花になれ」の3分の2を達成していることになるので、いい。https://www.youtube.com/watch?v=4zyF9MwqZOE ←花になれのMVはコチラ)、ブログを開設してからカウントすれば約3か月経った。
3か月という長さは微妙なラインで、脳内ギャルなどは「まだまだ短いじゃーん?」と嘲笑を浮かべているが、1年の4分の1と考えればまあまあ長いのだ。
このブログの大多数である義務教育を放棄したストリートチルドレンたちに継続することの大切さを説くのに十分な長さだ。
要約すると、適当なことを適当なテンションで3か月書き続けてきましたよ。ということ。
恐るべき要約力にストリートチルドレンたちが驚愕しているさまがありありと目に浮かぶ。これが大卒見込みの要約力じゃ。
こんな感じで始めたブログなので、「どれくらい読まれるかなんてどーでもいいわい」と思っていたし、
「ポリシーまげてまで大衆に合わせるってどうなんすか?」
とアーティストばりにイキってもいた。
「俺が書きてえことを書く。そんだけの話。」
ゴリゴリのイキり方をしていたのだ。
そして3か月後の僕がコチラ。
↓↓↓↓↓
はぁ~~~~~~ん!!
チャン僕が書いたブログ、もっとみんなに読んでほしぃよぉ~ん!!
ひぃ~~~~~~ん!!
みんなが気になることって、なんなのぉ~~~~ん!
ハッキリと大衆に寄せに行こうとしていた。
とまあこれは少し盛っているにしても、最初は全く気に留めていなかった読者数があほみたいに気になってきてしまったのだ。
どえらい心境の変化である。
えらいもので、全く読まれなくてもそれはそれでいいわいと思っていたのにいざブログを始めるとどれだけ読まれるかめちゃくちゃ気になってくる。
えらいこっちゃ。
アタマでは、このブログは自己満足だし、一般の大学生が書いているブログなわけでそこまで読者数が見込めるわけないということを理解している。
だが体がアクセス解析ページを求めてしまうのだ。体は正直である。
気にしないように気にしないようにと思っても、気が付けばアクセス数の増減グラフを見ている。
つくづく、ワガママボディだと思う。そう、ワガママボディなのだ。
こういった流れをふまえて、ちょっとまとめっぽいことをしてみようと思う。
〇3か月ブログをやってみてわかったこと
- 自分の興味関心はハズせない
3か月続けてきてまだまだ続けられそうな所感があるが、それは自分の興味関心に従って書いているからだと思う。全く興味のないようなことについて何百字も書けと言われたところで、お金をもらっても書かないと思う。いや、金額による。
- 承認欲求は確実に存在する
承認欲求と性欲は隠すべし!みたいな風潮のある日本だが、そうはいっても承認欲求の存在は否めないのだ。あなたの中にも多かれ少なかれあるだろう。ないと思ってたけど、僕の中にはメッチャありました。
- 読んでもらうためには他人にも理解されなければいけない
たくさんの人に読んでもらうためには、他人が興味のあること、おもしろいと思うことを書かなければいけない。自分の興味関心という点と矛盾しているように思えるかもしれないが、実はそうではなくて「自分と他人の興味関心の範囲が重なるポイント」というものが存在するはずで、それをうまく拾ってやらなければいけないということ。
興味関心のポイントは、自分に寄っていても他人に寄っていても良くなくて両者の中心ぐらいにあるのが一番いいと思う。
まとめるとこんな感じ。
いやームズくないっすか。
ということで、何書けばいいか全くわかんなくなっちゃったんで、更新頻度はけっこう落ちるかもしれないです。
まあ何かしら思いついたからといって大した記事が書けるわけではないですけど。
代わりと言ってはなんですが、noteをはじめました。
こことは違うような低めのテンションでいろいろ書いたりしてます。
4記事ぐらいあげたんですが、すでにこのブログの1か月間のアクセス数と同程度のアクセスがあって、noteアクティブユーザー多っ!!!ってなってます。
もしそちらも読んでいただけるのであれば光栄です。
リンクの公表は今のところは予定してませんが、僕の承認欲求の高まり如何ではツイッターにぶちあげることになります。
それを待たずしてnoteを読んでくださる方は言ってください。リンク教えます。
かしこ。
道端のウンコが気になりすぎる
僕は道端にウンコが落ちてるとついつい見つめてしまいます。
枯れ枝やビニール袋なんかが落ちていても全く気に留めないのに、ウンコがあるとそのディテールまで逃すまいと注目してしまうのです。
ウンコは控えめに言ってきれいじゃないので見つめるに値しません。
ウンコを見つめていて得しましたなんて話は聞いたことがないし、ウンコを見てうれしい気分になったこともない。
それどころかちょっと嫌な気分になります。
なのに、僕はウンコを見つめます。
汚いモノや臭いモノって人を引き付けるなにかを持っているんじゃないかと思います。
くっせえ!と一度顔を背けたものの臭いをもう一度嗅ぎたくなってしまったり、見たことを後悔した生き物の死骸なんかをもう一度確認してしまったり。
そんな経験みなさんもあるんじゃないでしょうか。
少なくとも僕はあります。
全く理由はわかりません。
なぜ僕が汚いモノや臭いモノに引き付けられてしまうのか。
知る由もありませんし、それほど理由が知りたいとも思ってません。
ただ確かなことは、自分が不快になることは分かっているのにそれでもなお僕はウンコを見つめてしまうということ。
これは現実世界だけに限った話ではなくて、僕はネット上でもウンコを見つけては観察してしまう癖があります。デジタルのウンコですね。
例えばヤフーニュースのコメント欄。
芸能人の不倫報道に対する膨大な量のコメントたちはまさしくデジタルウンコなわけですが、僕はそれらを見つけて「おっ。やってるやってる。」なんて思いながら一つ一つに目を通します。
例えばYouTubeの動画コメント欄。
揚げ足取りや誤字脱字指摘で論破だのなんだの言っているコメントを「ほえ~…こりゃまたすごいな…」とアホ面しながら読んでいます。
このどちらもがデジタルウンコであり、見たところでプラス価値が生まれるわけでもなく陰鬱な気分になっていくだけです。
じゃあ見なきゃいいじゃん。
そう思った方もいらっしゃると思いますが、上述のとおりウンコには不思議な吸引力があるのです。
ウンコが少しでも視界に入ってしまったが最後、そこに視線が吸い込まれていくわけですね。
平安時代の貴族であればこう言ったでしょう。
あな恐ろしや、ウンコなり。
ウンコって、怖え~。
現実世界に話を戻します。
先ほど、ネット上にもデジタルウンコが存在するんだよと言いましたが、現実世界にもウンコ(リアルウンコ)と同じような存在のウンコ(本当はウンコではないけど)が存在しています。それも無数に。
自分や友達に対して意地悪をしてくる人、むかつく上司、昔起こった悲しい出来事などなど多種多様なウンコに囲まれて僕たちは生活しているんです。
そして、無自覚のうちに「ウンコ大好き」状態になっている人を僕はよく見かけます。
その人たちもウンコに引き寄せられているんでしょうね。
ウンコって、すげえや。
大前提として繰り返しますが、ウンコは僕たちを幸せにしてくれません。
まるで中学生が悪ふざけで作った英文みたいですね。
ウンコは僕たちを幸せにしてくれません。
UNKO doesn’t make us happy.
ちょっとジワリます。
ウンコが僕たちにいい影響をもたらすことは絶対にないのです。
というか、最悪の場合、ウンコは私たちをウンコにしてしまいます。
UNKO makes us UNKO.
これ、冗談じゃないですよ。
ウンコに気分を害されて、ネガティブな気持ちになり続けてしまった人って、他人の気分を害してしまう存在になるんです。
ネガティブなモノばっかり見てずっと怒ったり悲しんだりしてる人って、一緒にいたいってあんまり思えないじゃないですか。
というか、喋っててネガティブな話ばっかりされると自分の気持ちも落ち込んでくるでしょ。
悲しいかな、ウンコは人間をウンコにするんです。
なので僕たちは絶対にウンコから逃げなければいけません。
最近僕はその方法を見つけました。今更ですが。
あまりにも原始的で、恐らくみなさん無意識のうちにやってのけていることだと思うので、こんなにもどや顔で発表するのが恐ろしく恥ずかしいですが。
その方法とは
「なるべくウンコがありそうな場所には近づかないこと」
です。
一度ウンコを見つけてしまうと僕たちは引き寄せられてしまうので、全く視界に入れないように努力しようという話です。
じゃあウンコを見つけてしまったらゲームオーバーなのか?
いやいやそんなことはありませんと思います。
ごめんなさい、自信はないです。
ゲームオーバーかもしんないです。
ですが、一応僕が最近やっているウンコを見つけてしまったときの対処法をお教えしておきます。
「好きなもの、きれいなものを見てウンコの記憶を流す(ウンコだけに)」
です。
好きな芸人の漫才、ハマっているマンガ、夢中になっているドラマ、なんでもいいので自分にとってプラスの気持ちをもたらしてくれるものに集中するわけですね。
うまくいけばウンコのマイナス分を埋めてくれるかもしれません。
ぜひ、ウンコを避けて便器のような真っ白な心で生きていってください(ウンコだけに)。
僕が一番頑張りますけどね。
合掌して「ありがとう」言う奴が気になる
こんばんは。
少し肌寒くなってきましたね。
バイト先の塾の生徒たちが長袖を着て勉強するようになってきました。
お前ら袖の長さぐらい簡単に学力も伸ばせたらいいのにな。はっはっは。
と内心思っています。
そんな話はさておきですよ。
こういう奴いません?
特定のシチュエーションの時だけ手を合わせながら「ありがとう」言う奴。
普段は全然手合わせてないくせに急に合わせだす奴。
あれマジでなんなんですかね。
芸能人がやたらやってるイメージありますけど。
唐突に手合わせて許されるのはお坊さんと鋼の錬金術師だけです。
いや、いいんですよ。
普段からやってるんならね。
日常生活の「ありがとう」で合掌してるならこっちも納得いくんですよ。
でもやってないじゃないですか。
やってないんすよ。
たぶん「いただきます」の時とかも合掌してないです。
おじいちゃんおばあちゃんが亡くなっても合掌してないと思いますよ。
この一族の恥め。
ちなみに僕は未だにおばあちゃんの墓がどこにあるか知りません。
おばあちゃん子だったので突発的に墓参りに行こう!と思い立って一人で霊園まで行くことがたまにあります。
今回こそはババアの墓石見つけっぞ!と意気込むんですが、いまだに見つかっていません。
そんなに大きい霊園ではないので、半径50メートル以内にババアの墓があるな。と認識できるのですが、まだ墓石の特定には至ってないです。
霊園って地域性が強いので、同じ名字の墓がたくさんあるんですよね。
なので、自分と同じ名字の墓石を見つけて「おばあちゃんみっけ」などとつぶやきながら近づいても、
「知らんおっさんの墓やんけ!」
「知らないばばあだった…」
とかなるわけです。
ミニコントやってるみたいに思えてきて、いつも20分ぐらいであきらめて帰ります。
でもよく考えると、まあまあ大きめの石に向かって近況報告したり泣いたりしてる光景って違う文化圏の人から見たら異常ですね。
石のこと友達やと思ってんのかな。とか思われそうです。
話を戻しますが、とにかく合掌してないでしょ普段。
なのにアイツら海外ロケと国際映画祭の時だけ合掌するんですよね。
癪に障るわあ。
俺の癪に勝手にさわるなよ~。
デリカシー無いんか。
やってらんないですよ。
日本を飛び出した途端に合掌しだすんですもん。
「当然やりますが…」みたいな顔しながら手を合わせるもんやから困惑しますよね。
地味顔の奴がスポーツで全国大会に出たことを知った時ぐらい困惑するんです。
顔が地味な人ほど運動神経よかったりしますが、見た目とのギャップが大きいせいで脳がバグるときがあるのでやめてください。
唐突に飛び出した合掌はどこから来てるんでしょうか。
なんの由来もなく出てきたのであれば親知らずと同じカテゴリーです。
「一丁クールジャパンやりますか…」という態度が鼻につくし、そもそも合掌しながらありがとう言う文化は日本にはないです。
「日本の代表としてこのような栄えある賞を受賞できて~」とか言ってるわりにインド式のあいさつしてしてるの滑稽ですよね。
お前らインドの回しもんかよ。
ガンディーガチ勢?
たぶん、“背負ってる”と思い込んでるんですよあの人たち。
自分が日本文化を、もっというと日本と言う国を背負ってるんやぞって。
そして日本っぽい振る舞いをしようという想いが強くなりすぎるあまり、日本を飛び越えてインドまでいっちゃうわけです。
背負ってんじゃあねえよ。って話ですけどね。
こっちとしては全く背負われたいなんて思ってないのに勝手に背負ってそのままインド旅行ですよ。拉致け?
背負われたいと思ってないのに背負ってくるって、少女漫画の主人公ぐらい強引ですね。
ヒロインが体育祭で捻挫して歩けなくなっちゃったところに颯爽と現れるやつですよ。「ほら」とか必要最低限の言葉で背中に乗れって促すんですよね。ほんでヒロインは一旦断るんですけど主人公が無理やり背負ってみんなが見てる中保健室まで運ぶわけですよ。ほんで二人きりの保健室で初めてのキス。やってらんね~!!
何やってんのー!!
何やってんの保健委員~!!
タンカ持って来いよ早く~!!
やってらんねーーー!!!
まあそんな話はいいとして。
留学中に出会う外国人が知ってる日本語をぶつけてくるというイベントが頻繁に発生してたんですけど、ありがとうを言うときの奴らも合掌してましたね。
きっと海外でイキっている芸能人の所作を日本の文化やと勘違いしてしまっているようです。
最初のうちは「ジャパニーズを代表して私が…」という思いで
「ノーノー!!ノーノーノー!(それ間違ってるよ)」
なんて言ってたんですが、4,5回目ぐらいからどうでもよくなって一緒に合掌してました。
そういう意味では僕も間違った文化を広めてしまった日本人の一人なので責任取って死にます60年後ぐらいに。
おわり。
文体が気になる
しっくりくる文体がありません。どうもこんばんは。
文体って難しくないですか?
小学校のころ、作文か何かの授業の時に先生が「だ、であるもしくはですますで統一してください。」と言っていた記憶があります。
その記憶に従って俺は文体をどちらかに統一しているわけですが、どちらもしっくりこないので困っているわけです。
今書いていて思いましたけど十数年前の教師の一言に今もまだ従っているって狂気じみてません?
もうちょっと自分の人生を生きろよと言ってやりたい気分です。
でも、ラピュタ滅亡後も城を守り続けていたロボット兵みたいな感じもしますね。
とっても健気です。
不登校ユーチューバーのゆたぼんも
「学校にいるみんながロボットに見えたねんな」
と言っていましたし、俺たちはロボットなのかもしれません。
「だ・である」はベーシックですけど、なんか偉そうなんですよね。いかにも正しいこと言ってますみたいな空気感も出ちゃうのでちょっと困ってます。いかにも正しいこと言ってますみたいな自信満々な人、すごい苦手なので「だ・である」を使っていることにすごい違和感があります。
一方の「です・ます」は良くも悪くもインパクトないですよね。
全然偉そうな感じもないですけど、なーんかこう印象に残らない気がします。
そもそも論になってしまうんですけど、普段関西弁をしゃべっているので書き言葉全般しっくりこないんですよ。あー、どうしよっかなー。
というか、文体もそうですけど一人称もしっくりこないんです。
「私」って言うとちょっと堅くてインテリみたいな印象になりますがメガネをかけていないのでインテリキャラは無理です。白衣とかも着ませんしね。
「僕」はちょっとナヨっとしてそうに聞こえるかなと思って避けています。
実際小5を境に10年ちょっとナヨり続けてるわけですが、せめてネット上ではオラついていたいという思いがあります。
現実世界でオラつけるかなと思って筋トレを始め、ベンチプレスで100キロを持ち上げられるまでに筋肉をつけたところ、ムキムキのナヨナヨが完成しました。
完全に矛盾をはらんだ存在です。
マンガとかによくいる悪者の手下にされているけど実は優しい心の持ち主のモンスターみたいですよね。
そういうモンスターの一人称は「おら」か、「おで」です。
オラつけるかどうかってもはや遺伝とかで決まるんじゃないですかね。
小学校の時クラスでガキ大将ポジションについていた友達の家に行ったらお父さんとお母さんがめっちゃオラついていた。なんて経験、みなさんもあると思います。
遺伝子ですわ。完全に。
実際うちの親全然オラついてないですし。
小学校のころ父親が唐突にパンチパーマになっていたことがありましたが、あれはオラつきというより狂気でした。
普段オラついていない分、髪型のパンチ力上がってましたね。
パンチパーマだけに。
普段めっちゃおとなしい奴の方がキレるとめっちゃこわいとかって言いますし、そっち路線で行こうかなとおもいます。
恐らく普段おとなしければおとなしいほどキレたとき怖くなると思うので、県内最弱ぐらいの雰囲気を醸しだすことにします。
このブログでの一人称は「僕」、文体は「です・ます」に決定です。
異論がある人はコメントで言うてください。
タトゥーを入れてる人が気になる
みなさんはタトゥー容認派だろうか?
それともタトゥー否定派?
俺はタトゥー容認派。
タトゥー入れてるからどうした?って感じのスタンス。
自己表現のひとつだから好きにすればいいと思っている。
タトゥーを入れているからと言ってその人が確実に悪い人ってわけでもないだろうし、タトゥーを理由に差別されるのはよろしくないなあという考え。
でも同時にタトゥーに関して気になってることもある。
タトゥー入れてる人、けっこうな確率で“気合”も入ってない…?
ここで言うタトゥーはワンポイントとかではなく、右肩に桜吹雪ドン!や背中に風神ドン!みたいなタイプのどちらかと言えば入れ墨と呼ばれるタイプのものだ。
個人的な経験から言って、刺青を入れている人はバチバチに気合も入っている人が多い。
※個人的な経験からの意見です
①なぜか肌は浅黒いし(※個人的な経験からの意見です)
②うっすい色のサングラスしてるし(※個人的な経験からの意見)
③真っ白のスキニーパンツをはいている(※個人的な経験からの意見)
④金色のチェーンネックレスをしている率も高い(※個人的な経験からの意見)
おそらく田舎に住んでいるからだろうが、タトゥーの入った人を見るとたいがい①~④のどれかに該当する。
そしてもれなく気合がバチバチに入っている。
こ、怖えぇ~
これがタトゥーの入った人を見たときの素直な感想である。
それはタトゥーが入っているからと言うよりも、バチバチの気合が入っているからだ。
ツイッターで見るタトゥー擁護派の人も、その意見には同意できるのにアイコンを見てみたら気合系の人だったりするから脳みそがパニックを起こしてしまうことがままある。
俺の理性「タトゥーは文化」
俺の本能「怖えぇ」
俺の理性「タトゥーはファッション」
俺の本能「近寄りがてぇ」
とまあこんな具合に全く理性的な部分と本能的な部分がかみ合わないのだ。
人間、思っているより体は正直なんだなあと改めて思う。
別にタトゥーが入っているからどうこうという訳ではないが、怖いと思ってしまうものは仕方ない部分があると思う。だって現に感じちゃってるから。
怖いと思うな!とか言われそうだが、その強制してくる感じがもう怖い。
全然タトゥーいいと思う!いいと思うけど、怖えぇよ!というのが俺の立場だ。
タトゥーを入れている有名人を検索してみた。
・EXILEのボーカル ATSUSHI
背中に「♰EVOLUTION」の文言。ATSUSHI自体は怖くないけどEVOLUTIONの前の十字架マークがが怖い。
あと、EVOLUTIONの字体が中2男子の着るTシャツの字体なのも怖い。
背中に奥さんの名前「美幸」の2字。
なんか怖い。
両腕にタトゥー数点。
ファンに怖い人が多いイメージ。
・清原和博
右足に登り龍。
いろんなエピソードもふまえて怖い。
なんか思ったアレと違ったがいろいろ怖かった。
とまあここまでいろいろ書いたが、冒頭でも述べたとおり俺はタトゥー容認派です。
社会的にもっと受け入れられるべきだと思ってます。
キャラ的にタトゥーが絶望的なほど似合わないので自分は入れないが、来世では入れたい。というより、入れれるようなキャラとして生まれたい。
よさこいが気になる
みなさんは大学生時代、どんなサークルに入っていただろうか。
大学生のみなさんは、何のサークルに入っているだろうか。
ちなみに俺はどこにも所属していない、いわゆるノンサー勢である。
サークルのことに関してはかなり無知で、「人がいる」とか「入った女の子のメイクが濃くなる」とか断片的なことしか分からないが、どうやら楽しいらしい。
メジャースポーツをわいわい楽しむサークルやイベサーという得体のしれない長髪パーマ男子が多数所属するサークル、映画サークルなど種類は実に様々だ。
そんな数多くあるサークルの中でも
この3つのサークルは特に人気で
イケイケなイメージ
楽し気な夏合宿
和気あいあいとした雰囲気
と、どこを切り取っても陽の香り。
まさにキャンパスライフが充実する激アツ確定演出。
「ウチのサークル、超仲いいから」と新入生に余裕ブッコいてる上回生の声が聞こえてくるようだ。
でも、あれ…?
ん…?
よ、よさこい?
よさこい…ってなに…????
とまあこんな具合に「よさこい」の違和感が半端ない。
大学入学まで全く、一切と言っても過言ではないほどに会話に出てこなかった「よさこい」なるものが大学ではドがつくほどメジャー顔をしているのだ。
よさこいってなんだよ!
じゃあ聞きますけど!!
大学入るまでに「よさこい」って言葉を発した人類いますか!?!?!?!?
(帰りの会でなぜかキレてる女子風)
答えは否!
圧倒的否である。
まじの一人も大学入学以前に「よさこい」と発音したという奴はいないのだ。
にも関わらず、よさこいはそこにどっしりと構えている。
「みなさんお馴染みの」という顔で俺たちの入学を待っているのだ。
なんなんだよ唐突に、よさこいって。
高校生への知名度が0%だというのに、大学生で「よさこい」を知らないやつの人権は保障されない。
なぜなら大学生にとっての「よさこい」は常識だからだ。
「よさこい」を知らない大学生は常識から外れたアウトサイダーであり、キャンパスの端っこで昼飯を食うことを強いられる。
なんだろう、この感じ。
昔からの仲良しグループに最近新しく入ったやつが何故か昔から居る雰囲気を出してるかのような違和感。
BLEACHのフルブリング編で月島さんに“挟まれた”一護の仲間が懐かし気に月島さんとの思い出を語り始めたときのあの恐怖と似ている。
大学生を4年以上やらせて頂いているのでさすがに今はよさこいを知っているが、入学したての時はそんな感じだった。
他のマイナースポーツ、例えばアルティメットとかペタンクとかが
「マイナースポーツです、すんません」
という謙虚な姿勢を取っている一方でよさこいが地元の先輩もびっくりなほどデカい顔をしていたことが気になっていたのだ。
今回これを書くに当たってよさこいを改めて調べてみた。
「よさこい とは」
で検索するとやたら「よさこい祭り」のホームページが出てきたので見てみた。
よさこい祭りのルール
・よさこい節のフレーズを入れれば曲のアレンジは自由
・鳴子を持って鳴らしながら前進する踊りが基本
・チームの人数は上限150人
以上
えっ…
ルールそんだけ…???
どうやらよさこい祭り、かなり自由度が高いらしい。
これだけしかルールがないのであれば日本国民ならだれでも日常生活で知らない間によさこい祭りをしてしまっている可能性がある。
気づいていない間によさこい祭りに参加しているとは。
ヤバいデスゲーム系のマンガみたいだ。
しかもよさこい祭り、18000人が参加するらしい。
いちまんはっせん!!!
バチカン市国の人口の22倍じゃねーーか!!
規模でかめのヤバいデスゲーム系のマンガみたいだ。マンガボックスとかに掲載されてるやつ。
よさこい、スゲーな。
連帯責任が気になる
「じゃあみなさん、連帯責任で罰として中庭掃除をしましょう」
こんなことを言われた経験があるだろうか。
俺はある。
みなさんの中にもこれと全く同じでなくても、何かしらの罰を連帯責任で受けた経験がある人はいると思う。
この「連帯責任」がマジで気になる。
例えばクラスのAくんが掃除の時間にホウキをまたに挟んで嬉々とした様子で魔女の宅急便ごっこをしていたとしよう。
その様子を見た廊下掃除中のBくんは思うだろう。
「魔女宅ごっこしてんじゃねえよ」と。
そしてBくんはAくんの姿を見て条件反射的に次の行動を決断する。
「先生にチクったろ…」
無事、先生にチクられたAくん。
当然先生からおしかりを受けることになる。
「掃除中に魔女宅ごっこしちゃだめでしょう。」
「魔女宅ごっこしてごめんなさい。」
次の瞬間、なにを思ったか先生はAくんの所属する班員を集める。
「Aくんの魔女宅ごっこを注意しなかった皆さんにも責任があります。」
そしてこのセリフ。
「じゃあみなさん、連帯責任で罰として中庭掃除をしましょう。」
この一言によってAくんの所属する班員の昼休みが消滅するのだ。
真面目に雑巾がけをしていたCさんも
ごみをチリ取りに入れた後にチリ取りを少し下げたとき、とりきれていないチリがあることにイラつくDくんも
上靴が異様に汚いがめっちゃいいやつのEくんも
Aくんが股の間にホウキをはさんで教室内を狂喜乱舞していたことがきっかけで学校唯一のフィーバータイム、昼休みを奪われるのだ。
キックベースも、縄跳びも、竹馬も、一輪車もできないのである。
さてここで問題だ。
Cさん、Dくん、Eくんの昼休みが失われたのは誰のせいでしょう。
答えは明確である。
先生だ。
少年少女たちの当然の権利、「昼、休む」を奪い取ったのは先生のあの一言なのだ。
魔女宅ごっこをチクってしまうBくんもどうかと思うが、人間というのは他人がさぼっているのを見ると無性にむかつくものだ。仕方あるまい。
たぶんBくんは誰かが言っていた悪口を本人に伝えてしまい人間関係をこじらせさせるタイプだが、今回の行動に非はない。
Aくんはとんでもバカ野郎である。
ホウキを使った魔女宅ごっこという創意工夫のかけらもなく、ユーモアのセンスが1ミリも感じられない遊びをしてしまったのだから昼休みなしでも妥当だ。
リボ払いで家電を買ったりするタイプだろう。
だがほかのCさんDくんEくんはどうだろう?
なんの罪もないことは明白だ。
そんな善良な生徒たる彼らの昼休みをはく奪したのはほかでもない先生なのである。
とまあこんな具合に連帯責任は理不尽な形で振りかざされる。
しかも、これに納得できないと何故かほかのメンバーからキレられたりするからやってられない。
なぜかほかのメンバーが被った罰を共有することが「良い」とされているのだ。
訳が分からない。
逆に共有しなければ「悪い」とされ、白い目で見られる。
そういう人も苦手だ。
飲み会の1杯目でビールを頼まなかった人の陰口とか叩きそうだからだ。
そもそも他のメンバーとなにかしらを連ねた覚えがなく、連帯もクソもない時だってあるので、やっぱり連帯責任には納得できない。