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人生は気になったりならなかったりの連続

乳首が気になる

テレビ番組を放送している放送局各局は「放送コード」なるものを持っている。

国が規定しているものから、放送局が独自に設定しているものまで種類は様々なようで、納得のいくものからワケの分からんものまでピンキリだ。

 

個人的に納得できない放送コードがある

女性の乳首だ。

 

 

これは別に俺が女性の乳首を地上波で見たいがために納得できないとかそういう低次元な話ではないことを最初に断っておく。

言うなれば、これは哲学だ。

 

 

↑これが一体何かみなさんわかるだろうか。

答えは「世界丸見えに出てくる乳首を隠すための星」だ。

乳首隠し星(チクビカクシボシ)と呼ぶことにしよう。

 

このチクビカクシボシ、かなりお茶の間に浸透しているのではないだろうか。

老若男女、世界丸見えの★と言えば何?と問われれば、間髪入れず「チクビカクシボシ」と答えるはずだ。

 

 

俺たちの世代はこのチクビカクシボシやその他さまざまな記号で隠された乳首に慣れ親しんでいるが、一昔前は違ったらしい。

師曰はく、昔は乳首全見せが普通であったと。

ボロンボロン出ていたと。

ばいやややいーんだったと。

 

チクビカクシボシ世代には信じがたいことだ。

俺たちレぺゼンチクビカクシボシは星型で隠されたおっぱいを見てもドギマギしてしまうのに、星ですらない乳首が地上波放送の電波に乗ってブラウン管の向こうにお届けされていたとは。

お茶の間の空気は、一体全体どうなってしまうってんだい。

 

 

ところがどすこい。現代のテレビ番組はどうだ。

女性の乳首がそのありのままの姿をさらすことはない。

昔は“そこ”にあった乳首が、なぜ隠されることになったのか。

 

 

「乳首 隠す 理由 テレビ」「乳首 なぜ 放送コード」

様々なキーワードで検索をかけたが、これだと思えるような理由が出てこなかった。

もはや国家機密なんじゃね?と思えるレベルで答えが見当たらないのだ。

 

 

コンプラコンプラとテレビマンたちが叫び続ける今、いろんな表現が規制されているのを見るに、女性の乳首がなにかしらのコンプラに違反しているという判定を受けたのだろうが、ちょっと待ってほしい。

 

男の乳首、出とるやないかい。

 

バラエティー番組を見れば、やれ乳首に洗濯ばさみだの、やれ乳首相撲だの乳首のオンパレードだ。

乳首に次ぐ乳首。怒涛の乳首。乳首協奏曲。

乳首が狂喜乱舞してやがるよ~!!!

 

吉本新喜劇に出てくる例のギャグはその最たる例だろう。

座長・すっちーと吉田裕が繰り出す「乳首ドリル」である。

すっちーが吉田裕の乳首を棒でドリルしたりドリルしなかったりしているところに吉田裕が「すな。すな。すな。すんのかい。」「すんのかいおもたらせんのかい。」など言うあのギャグだ。

狂気の沙汰である。

 

男性の乳首が許されて女性の乳首が許されないってどういう判断基準?

と不思議に思っていたところ、この疑問を抱えている人は世界中にいるようだ。

 

歌手兼女優のマリーサイラスさんも女性の乳首だけが隠されなければいけないことに疑問を感じているようで、自身のインスタに「Free Nipples, Free Me(乳首を自由に、私を自由に)」と投稿している。

言うなれば彼女はそう、乳首解放軍である。

 

こうして女性サイドから乳首開放の動きが出てきている一方、見逃してはならない新たな風潮がある。

 

男性の乳首、隠した方がよくね?というもの。

 

Tシャツを着た男性の乳首が透けたり浮いたりすることにたいして多くの批判の意見が上がっている。

こういった意見を受けて、男性用のニップレスなるものが販売されているようだ。

この流れは明らかに前述の女性の乳首解放運動と真っ向から対立している。

 

女性の乳首を解放し、男性と同じ土俵に上がらせるのか。

それとも男性の乳首を禁ずることによって女性に合わせるのか。

 

 

この「乳首解放軍VS反乳首軍」の戦いから目が離せない。