ゆずソーダの濃度が気になる
ゆずソーダの底に沈んだ果肉が気になる
おしゃれなカフェ行くと必ずと言っていいほどあるメニュー。
「ゆずソーダ」。
オシャレ系のお店には必ずと言っていいほどあるメニュー。
ゆずを出すか出さへんか、話はそこからや。ぐらいの気概を感じる。
「よくかき混ぜてお召し上がりください。」
これは店員さんのパンチライン。
オシャレな店員さんに言われたからには混ぜますとも。
ゆずソーダは自家製の果肉入りジャムをソーダで割られた形で出てくる。
ジャムが底に沈んでしまうから、かき混ぜないとゆず濃度がてんでばらばらになってしまう。
ゆずソーダはかき混ぜるのが一番大切。これ、テストに出ます。
言われたとおりに混ぜてみるけど、これが混ざりにくいのなんのって。
ゼルダの伝説でリンクが使うビンみたいな形のグラスに、これでもかってほどの氷が詰まってる。
いやいやこんなん混ぜれるやついるん?何、いじわるですか~?
横方向にはこれでもかってほどクルクル回る。でも大切なのは縦方向。
水平方法じゃなくて垂直なんです。
じゃないと上のソーダほぼ100%層にゆずが到達せんでしょう。
がんばって氷に負けじとマドラーをくるくるするけど、氷に阻まれてぜんっぜん垂直方向に混ざらない。
メリーゴーランドばりの微妙な上下動を見せるゆずソーダにおじさんがっくりきました。
まあいけるとこまで混ぜてみよ。と思ってガシガシ混ぜてみるけど今度は炭酸がすごいシュワシュワなるやん。
ソーダで頼んだのに混ぜ終わるころただの水割りになってまうやん。
ソーダでゆずのジャムを割るからいいのであって、水で割るとなるとカルピスの方がいいやん。それは常識やん。
結局ほどほどに混ぜたところで飲み始める。
けど納得できる均一加減にはなってない。
やっぱり濃度を均一にして飲みたい。
抑えることのできない濃度へのこだわり。
上の方はソーダ成分ばっかりやし、底はほぼ100%ジャム。
ここで解決策。
ストローを上下動させながら飲めば濃度がストロー内で均一になるのでは!?
一休さんばりのアタマの回転。さすが中学の頃先生に天才と褒めたたえられていただけある。テニスもそこそこうまかった。
やってみると、確かに濃度はいい感じになる。
ただ冷静に考えてストロー上下させながら飲む姿、こっけいにもほどがある。
「あの人、濃度にこだわりすぎてる」
とか思われた日には。
なんてったってオシャレな店やから。
これは俺の偏見だが、オシャレな店にくるような人間はゆずソーダの濃度にこだわらない。
頼んだゆずソーダの濃度がぜんっぜん均一にならなくてもいやな顔一つせずに飲み干すはず。
だってそれがおしゃれだから。
濃度にこだわる姿勢はオシャレの対極。
まずそもそも濃度っていう言葉をゆずソーダに適用する時点でおしゃれじゃないから。
マクドであれば一心不乱に顔とストローを上下させながら濃度均一神になる。けどあいにくここはオシャレなカフェである。
そんなこと、恥ずかしくてできるはずもない。
そんなこんなで自分をなだめながら不均一なゆずソーダを着々と消費していく。
不均一ながら、ゆずソーダの力は偉大。柑橘類ならではのサッパリ感と適度な甘みが絶妙にマッチしてる。ゆずというワードだけで美味しい。ゆずって最初に言い始めた人、ほんまにありがとう。
でも、美味しい!ハッピー!では終わらせてくれないのがゆずソーダ。
ゆずソーダを飲み切ったとき、そこに現れるのは
グラスの底に残った大量のゆずピール。
このゆずピール
食べたい!!
ジャムに入っている果肉が世界で一番おいしいことは実証済み。
ゆずピールを食べずに店を出ることなんてできるはずがない。
ただこのゆずピール、一筋縄ではいきそうにない。
ゆずソーダのラストステージに待ち受けるその姿はまさにラスボス。
フリースタイルダンジョンで言うところのR-指定。
ひげもじゃもじゃおじさん。
韻ふみふみディスおじさん。
ゆずピールをラスボス足らしめているワケはそのサイズ感にある。
ドリンクについているストローより一回りか二回りほど大きいのだ。
単純に吸っても吸いきれないのは自明。
ここは馬力を上げていくゼ。
ストローをゆずピールに密着させる。
ぐっと腹に力を込め、一気に吸う!
ズズッ。
その鈍い音とは裏腹に、ゆずピールは口に到達していない。
見ると、ストローの中間地点ぐらいで詰まった模様。
ゆずピールのそのあまりに大きすぎる体躯がストローのキャパシティーを完全に超えてしまっている。
これはもう気持ちでどうこうできる話ではない。
タピオカぐらいのストロー用意しといてよ~。ってな感じである。
吸い上げるのはあきらめた。
でも、ゆずピールのことは諦められない。
次に考えた作戦はこうだ。
ストローの先端部分をゆずピールに引っ掛け、口まで運ぶ。
幸いゆずピールは長細い形をしていて、その中腹部分にストローを引っ掛けることができそうなのだ。
俺はストローを利き手に持ち替えた。
ストローの先端でグラスに残った氷をかき分けながら、ゆずピールの根城にストローを進める。
ついにゆずピールの中腹をストローが捉えたッ!
いける。ついにゆずピールを食べられる。
だが、ストローは動かない。
俺の気持ちとは裏腹に、俺の左手はストローを口元に運ぼうとしない。
なぜか。答えは単純明快。
お店がおしゃれだから。
お店がおしゃれで、おしゃれな人間ばかりに囲まれているからだ。
そんなシチュエーションで、底に沈んだゆずの果肉を必死に食べようとする23歳男性滋賀県生まれヒップホップ育ちの姿を見せてみろ。(1回言ってみたかっただけで、本当はヒップホップと無縁の生活)
笑われるぞ。
だいたいこの23年間、周りの目と自我とのはざまで悩み続けてきた人生。
おしゃれなカフェでゆずピールをむさぼれるような性格ならこんなブログはハナから書いてないわけで。
いや、わかってるんです。
別に周りの人、そこまで俺のこと見てないし。
なんなら自前の溶け込み力で背景の一部になってるぐらい、空気と一体化してるし。
フライングダッチマン号の一部になってしまったブーツストラップビルぐらい一体化してるし。
俺がゆずを貪り食おうがケツを晒そうが、店にいるオシャレな人たちは気にしてないはず。
でも、できない。
俺の積み上げてきた23年間がそれを許さないのである。
ゆずピールを引っ掛けたストローが重い。
その重みはゆずピールの重みだけじゃなく、自分が生きてきた23年間の重みでもある。
ストローをおき、店を出た。
日本の夏とくゆうのじめっとした空気が肌を覆う。
雲間に太陽の光がさしていた。
何かが変わる24年目を祈っていた。