鬼ごっこが気になる
鬼ごっこって全然鬼のごっごをしてないのが気になる
昔よくした鬼ごっこ。誰とでも一瞬で友達になれる最強ツールであり、プレイし始めた瞬間テンションがぶちあがる子供にとっての脱法ハーブおよびマリファナ。
でも一つ気になることがある。鬼“ごっこ”って言ってる割に“ごっこ”してなくない?
仮面ライダーごっこをするとき、子供たちは徹頭徹尾仮面ライダーになりきることを目指す。変身ポーズから作中によく出てくるセリフ、必殺技まで全て完コピすることにすべての情熱を注ぎ、なんならこっちがオリジナルですけど?と言わんばかりに真似をする。
ところがどうだ。同じ“ごっこ”を関する鬼ごっこは全くと言っていいほど鬼を意識しない。鬼ごっこという名前は虚像と言わんばかりに無視を決め込む。意識しているのはより速く走れるフォームとターゲットとの距離の詰め方だけ。鬼の要素は全く忘れ去られている。ハリウッドザコシショウもびっくりの真似してなさ。もうちょい真似するべきじゃない?
そもそも“鬼”がぼんやりしすぎているのかもしれない。鬼のイメージがはっきりしないがために何を目指していいやらわからず、とりあえず走ることに全神経を注いでいるのかも。「鬼のふりをしながら一般市民に扮する友達を捕獲する」ことが鬼ごっこ本来の目的とするならば、前半部分(鬼のふりをしながら)の難易度が高すぎるがために後半部分(友達を捕獲する)でベストを尽くしてしまうということだ。何たるストイックさ。ただ俺は伝えたい。子供は子供らしく振舞えと。無邪気さを捨て去った子供なんて寺田心ひとりで十分やぞと。
本来の目的を取り戻すため、鬼の定義をしてみよう。
我々の多くはこどものころ昔話を通して鬼と接触を重ねてきているので、ある程度のイメージ共有ができるはずだ。
ところで秋田にはなまはげというゆるキャラの対極をいくようなストイックなキャラクターが存在する。なまはげに関する知識が浅いので何とも言えないが、まあ鬼みたいなもんだろう。秋田の子供たちは幼少期から幾度となくなまはげに遭遇している。なまはげは「悪い子はいねがー」、「泣ぐ子はいねがー」とか言いながら町内の民家に侵入し、災いを祓うらしい。が、子供からすればたまったもんじゃない。家でくつろいでいたら不意にヤバい見た目のやつが入ってくるなんて悪夢以外の何物でもない。それなのに災いを祓うというさも正義かのような体裁。俺なら憎しみ以外の感情を忘れ去る。
なまはげはさておき、鬼のイメージ。だいたいが縞々のパンツで頭もじゃもじゃ、角が1本か2本ほど映えている姿を想像するだろう。金棒でも持たせておけばほぼほぼ完成。だがここで我々は重大な問題を抱えていることに気づく。肌の色。
鬼は高確率で赤いタイプか青いタイプに分かれる。形容詞と名詞が一体化した赤鬼、青鬼という言葉の存在も鬼のステレオタイプが赤もしくは青に分かれていることを示唆している。
いや赤か青て。
夕食何がいい?→イタリアンか和食。
ぐらいどっちかに決め辛い。
でもよく考えたら赤にしろ青にしろ真似するときは肌の色まで再現できないので気にする必要ないわ。
ということで次回から鬼ごっこをする時は鬼のパンツともじゃもじゃカツラに角をはやして、こん棒振り回しながらやってください。
でももっとよく考えたら仮面ライダーごっこやる時も別にライダーベルトとか使わへんし、見た目にこだわる必要ないわ。
ということで各々が持つ鬼のイメージを忠実に再現し、ぼく/わたしは今鬼であると思いながら野原を駆け巡ってもらえればそれで充分です。